亡くなった悲しみ
夫が逝ってしまったことで
彼が亡くなった悲しみに暮れる毎日が始まった。
朝の「おはよう」の挨拶は実態のあった彼からイメージの彼へと変わった。
まるで透明人間になった彼に話しかけているように独り言を言ってしまう。
会話は成立しないけれど、聞いていてくれている気がして・・・。
いつも隣にいた人が居ないことの違和感。
この違和感はだんだんと違和感ではなくなっていく。
居ないのが普通になっていく。
悲しいけど。
亡くなってもあるもの~知足
我が家は自営業なので、いつも夫と一緒に仕事をしてきました。
だから、一般的なご夫婦より一緒に過ごした時間は多かったと思います。
いつも家に一緒にいることが苦痛な時もあったかな。お互い様だろうけど。
結婚後3年だけサラリーマンをして、その後独立。
比較的若い経営者でしたが、有能で人の信頼も厚い人でした。
25年くらいは一緒に仕事をしてきました。
ここ10年ほどは・・・
不思議と宗教者の方々とのご縁があって、
宗派を超えた交流を望む素晴らしいお坊さん方と出会ってきました。
仏教に限らず、他宗教(キリスト教、イスラム教など)の宗教者との交流も積極的にされようとする本当に尊敬すべき方々です。
図らずも、仏教というものを少しづつ学ぶようになり、
「吾唯足知」(我、ただ足るを知る)
という言葉を知りました。
亡くなってしまって物体(身体)がないという事実。
いつか必ず叶うと思っていた夫との夢、
夢みていた将来の計画、
描いていたふたりの未来がすべて、
手から砂がこぼれ落ちるように形を失って消えて行ってしまった。
でも、ある時気が付いたのです。
彼は亡くなった・・・でも、彼は確かに生きていた。
ついこの間まで一緒に生きてた。
身体はなくても魂があるなら、今もいることに変わりないじゃない。
肉体が消えてしまっただけ。
今「ある」彼のものを見て!
いま「ある」こと。いま「ある」もの。
彼が残してくれたたくさんのもの。
彼との記憶。
彼から学んだもの。
たくさんの友人と愛情。
人とのきづな。
彼が亡くなったことを同じように悲しんでいる人たちがいる。
私は自分が失ったものばかりにフォーカスしていたことに気が付きました。
今「ある」もののことを考えてみようと思い立ちました。
すると・・・
「私」自身に目線が移っていきました。
夫を亡くした妻である「私」だけではない「私」がいることに気が付いたのです。
あたたかい部屋で休める私。
優しい家族と友人がいる私。
健康で十分に動く身体と頭。
仕事熱心な夫が残した、やるべき仕事のこと。
まだまだいっぱい ある!
今ある自分に・・・自分の持っているものや自分の周りを見回してみたら、違う世界が見えてきたのです。
「知足」足るを知ること。
今あるもの、今あることに感謝をすること。
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